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Ned Kahn - Articulated Cloud, Pittsburgh Children’s Museum, Pittsburgh, 2004, PA.

Through collaboration with architects, Koning/Eizenberg, Kahn created a skin - composed of thousands of translucent, white plastic squares - that move in the wind, suggesting a digitized cloud. This “skin” is dramatically affected by the weather and time of day, resulting in ever changing optical phenomena of the skin.

今夜は外飲み。爽やかな酸味とベリー系の香りが効いたスペシャルなベルギービールの大瓶を常連仲間と飲む。ふ〜おいし〜い。#beer #craftbeer #ビール #instagram

今日は一人ちろっとトーキョーの風に吹かれにきたよ。いい天気だねぇ。#イマソラ #sky #instagram

「悔しさ」をめぐる読書/映画ガイド

 図書館で偶然見つけた、片岡覚太郎著「日本海軍地中海遠征記若き海軍主計中尉の見た第一次世界大戦」は、当時の海軍軍人の気風を伺える興味深い本だった。著者は、第一次世界大戦中に連合国と協力して地中海の輸送船護衛の任務に当たった駆逐艦隊の主計士官なのだが、後に海軍経理学校の校長になるほど人物らしい。軍隊の遠征記ながらユーモラスな描写もあり、好人物を思わせる。航海で嵐の高波に揉まれば詩を書き、怪我や病で帰国を余儀なくされた仲間の兵士の為にまた詩を詠んでいるのも心打たれるところがあった。林芙美子の「放浪記」にもそうだが、日記に詩を書くのは当時の教養の在り方なのだろうか、詩心の皆無な僕は、なるほど自分には文学素養がないわけだ、といささか凹まされた本でもあった。

 ただ同時に奇妙な気分にもなった。例えば岡本喜八監督の映画「日本のいちばん長い日」の黒沢年男が演じた若き参謀を、この人は止めることが出来ただろうか?この映画は、ポツダム宣言受諾決定後、一部の陸軍将校達が戦争継続のためクーデターを画策し未遂に終わるまでの、緊迫の終戦前夜を描いた作品だ。その首謀者の一人を黒沢年男が熱演している。戦争継続の意義を説き奔走する彼の姿には、根底にある破滅や死へのグロテスクな願望を掻き消すような眩い情熱的な美しさがある。そんな激しい情念を止めるのには、詩心ある好人物では心許ない気がする。

 実は片岡覚太郎著「日本海軍地中海遠征記」にも度々国のために命を捧げる、という記述が随所にある。明治の文豪、森鴎外も「阿部一族」という殉死をめぐり破滅する武家一家の物語を書いているが、日本の文化には死に対して形式的美学がある。詩や短歌、俳句などそもそもが情緒的感受性の高さを重んじてる上にである。

 実は「日本人の悔しさ」という観点でも読書をしている。 

 僕の親は空襲や食料物資の欠乏等で第二次世界大戦を経験している。当時の苦労話を語っては「お前はすごくいい時代に生まれたんだぞ」と説教する、そんな親に育てられたせいか、昨今のそれなりの地位のあるいい歳の大人が過去の全体主義的体制への憧憬を隠さなかったり、ましては図書館所蔵の「アンネの日記」を破る輩が出現したりした最近の世相には驚くものがある。説教にはうんざりだったが、辛い時代が過去になったという親の世代の安堵感はよく理解できたからだ。今は衰え気味とはいっても高度経済成長を成し遂げ豊かになっていく社会の中で、「今の平和と社会体制はまやかしだ」とばかりに敗北の「悔しさ」をいびつな形で抱え続け引き継がれてることに、今更ながら不気味さを感じたのだ。

 福島原発事故を契機に読んだ斉藤貴男著「『東京電力』研究 排除の系譜」には、米ソ冷戦の背景を受けて戦後公職から追放されていた人々(その中には戦時中激しい言論弾圧に関わっていた人も含む)が復帰し、様々な形で組合活動を形骸化させていく様子が描かれている。その中に今の世相の種を蒔いた人がいるかもと思うと、歴史の不可解なあやを感じてしまう。

 今振り返れば、日中戦争などしなくても国を豊かにするであろうやり方はいくらでもあったように思えるのだが、それでも日本を軍事国家化し、国力を度外視した戦争に突入した原動力は何だったのか。片岡覚太郎著「日本海軍地中海遠征記」からは西欧に対する劣等感や中国や他のアジア人に対する嫌悪感も読み取れるが、そのような感情がパラノイア化したものなのか。そこには19世紀から20世紀始めの時代的な社会背景もあるのか。考えだすと止まらないところがある。

 もちろん僕は第2次大戦の日本に正しさあるとは考えていない。でも当時の日本軍の残虐性を反省する、という従来の振り返り方では、うまくいえないのだが「古く間違った悔しさ」を「供養」できないような気がするのだ。

土曜日の締めは、俺のiPhoneでLineをしたがる娘とそれを阻止し宿題をしろと吠える妻の間で飲むデンマーク経由米国産ビール!苦味も旨味とビールは教えてくれるのだが、辛いものよのう。娘に撮影任せたらピンぼけだよ、おい。#ビール #beer #craftbeer #instagram

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